--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008
09.14

メンツィーカンと満月

昨日の、世界ふしぎ発見!見た人ー???
インドはヒマラヤ方面やってましたね。そこで、チベット医学の病院、メンツィーカンが紹介されていました。
(とか言う私は、昨晩飲みに出ていたので、世界ふしぎ発見!見てないんですよね…。本当は母が見て、「メンツィーカンが出たよ。」と、言っていたのです。)

メンツィーカンとは、チベット医学暦法学大学と訳されるらしく、その名の通り、チベット医学の大学病院みたいな所です。(メンは医学、ツィーは暦法、カンは大学を意味。)
700種類の薬草から170種類の薬を作り、お医者さんは脈診で患者の体調を診てくれます。
それと、チベットには、チベット暦のカレンダーがあるのですが、毎年のチベットのこよみを作るのも、メンツィーカンだそうです。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所公式HP「チベット医学入門」

メンツィーカン。

脈診してもらう私。アムチ(チベット医)さんの暖かさを感じます。日本の古きよき時代の町医者さんな感じです。

棚には、たくさんの丸薬が並びます。


薬局も大忙し。



私は、アムチさんから、肝臓が悪いんじゃないかと…。飲みすぎか!?
バターと、コーヒーは控えるようにとのことでした。そして、メンツィーカンのいかにも効きそうな、にがみのあるありがたいお薬を1週間分処方していただきました。
何というか、ヒマラヤの味がします…。(砕いて飲むので、しっかり味(苦味)がします!!)そして、心が温かくなる不思議な薬です。診察同様、心がこもってる感じ。

そうそう、今夜は中秋の名月ですが、メンツィーカンには、とっても神秘的なお薬があるのです!
1年に1度、満月の光の下で作られるお薬、「月晶丸」。
チベット暦8月15日の満月の夜に今年もダラム・サラのメンツィーカンでは満月の下、神聖に月晶丸の作業が行われるのです。何と、非公開!!どんなにお金を積んでも、どこのメディアも入れないそうです。チベット医学、なかなかロマンチックというか、いいですよね、そういう神秘性を重んじるところ。
この話は、チベット圏以外の外国人としては初めてメンツィーカンに合格し、現在、ダラム・サラにてチベット医(アムチ)となられている、大変貴重な日本人、小川康さんのコラムに詳しく載っています。

この、月晶丸の話を現地で聞いたとき、「日本でもそういう神秘的な薬を作ればいいのに!!」と、日本人アムチ(チベット医)の小川さんと共に「神の国、出雲の地で月晶丸を作ろう!」などと、盛り上がったので、このアイディア、このまま捨てるのもったいない!!
よって、誰かこのブログを見ている製薬会社の方いらっしゃいましたら、私にご一報を…。

※チベット暦のカレンダーがうちにもあるのですが、多分、8月15日は日本では、10月13日の満月の夜ではないかと思われます。




スポンサーサイト
Comment:0  Trackback:0
2008
08.22

チベット子供村(TCV)へ行きました (2008.8.7)

8月7日、ダラム・サラにありますチベット子供村(Tibetan Children's Villages)、通称TCVへ行きました。
今回の旅で、一番来てよかったと思える、印象深い場所です。




校舎やグラウンド。グラウンドでは犬がグーグー寝ていました。

TCVは世界からの寄付で成り立っている為、世界の都市名の書いたファイルがずらーっと並びます。



幼児クラス。子供達の目がキラキラしてて、一番楽しかった!

乳児クラスのベット

子供達の靴。ダラム・サラはクロックス風靴、大流行です。



写真の公開は遠慮しますが、去年12月から今年の3月までに亡命してきた子供達のクラスで話を聞くことが出来ました。

チベット動乱から45年が過ぎた今もなお、毎年大勢の子供たちが、親元を離れてチベットからネパールなどを経由してインドに亡命してきます。信じがたいことですが、彼らは4,000メートル級のヒマラヤを徒歩で越えてやってくるのです。そのため、凍傷にかかったり、やむなく手足を切断せざるを得ない子供もいます。無事に到着しても、子供たちは身の安全を守るため、チベットに残った親と電話はおろか、手紙のやりとりすらも危険であるとして、連絡を取ることができなくなってしまうのです。

子供村には、僅か生後数ヶ月の乳児もいるのです。お母さんが妊娠中にヒマラヤを越えてインドに入り、出産を終えた後に再びチベットに戻っていくといいます。

なぜそれほどまでの危険を覚悟の上で、亡命をするのでしょうか?現在中国の支配下にあるチベットでは、チベット民族は「緩やかな民族浄化」の道を辿っているからです。親たちは、せめて子供たちだけでもダライ・ラマ法王がお住まいのインドでチベット人としての教育を受けさせたい、と願い、二度と会えない覚悟で子供を密かに亡命するグループに預け、送り出すそうです。
チベットサポートグループKIKU HPより


今まで、本で読んだり、ネットの情報を見たりして、ヒマラヤを越えて亡命してくる子供達の話は知っているつもりでした。しかし、実際の体験談を聞いて初めて感じることもたくさんありました。

「亡命の途中で、両親と妹は捕まってしまった。お兄ちゃんが手を引いて逃げてくれたので、亡命することが出来た。」

「向こうの刑務所で、お父さんが殴られたり、蹴られたりしたのを聞いた。」

「亡命してから、チベットの住む両親からの連絡は全くない。」

日本人に何か質問はないですか?と、いう問に。
「私たちに、着る物や食べるものを与えてくれてありがとうございます。」

恥ずかしながらこの時、『平和』の意味を初めて肌で感じた気がしました。
このクラスで、私の横でニコニコしてこちらを見ていた子供達。その子供一人、一人が私が想像する以上の、壮絶な人生を背負って生きているんだ…(刑務所で親兄弟を殺された子供もいました)。そう思ったとき、何も言えませんでした。うまく表現出来ませんが、心に大きな傷を負っているのにも関わらず、チベットの子供達は本当に暖かく私たちを迎えてくれました。この旅で、一番印象深く、心にいつまでも残る出会いになりました。

TCVにいる時、ようやく気付き始めたのですが、日本のような恵まれた裕福な国は世界の一握りなのだと…。
インドは経済発展目覚ましい国と言われ、確かに首都デリーは大都会。大きな道路や、地下鉄建設が進む街です。しかし、車に乗って、交差点の赤信号で止まれば、子供が車の窓ガラスを叩いて、ボールペン買ってくれとやってきたり、物乞いする人が来たり…。
地下通路を入れば、裸足で本当に小さな子供が絵を売っていたり、日本では考えられないですが、手のない人、足のない人など、どうすることも出来ない障害のある人が座り込んで物乞いをしています。
世界の現実はこうなのだと…。食糧危機や、飢餓、貧困など、一部の国のことだと思っていた無知な自分が恥ずかしいです。現在世界に亡命しているチベット人は約134,000人と言われています。しかし、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のHPによれば、難民などの支援対象者は世界に3,170万人と言われています。言い出したらキリのない事だと思います。しかし、言い続けなければならない事だと思います。

今、日本に帰ってきて、この当たり前の生活がどれだけ幸せかという事。私たちは平和の中で生活してるという事。自分達の文化がある事。国があるという事。これがどれだけ感謝しなければならないことなのかを感じます。
この、TCVで感じた気持ちを忘れずに生活していきたいです。

TCVで出会った子供達に心から感謝します。

TCVのスクールバス







Comment:0  Trackback:0
2008
08.21

謁見しちゃいました (2008.8.6)

ダライ・ラマ14世のティーチング(仏教講話)最終日。
今回のティーチングの主催者であります、韓国の方たちと一緒に、私たち日本人も猊下へ質疑応答の時間に同席が許されました。

そして、そのまま謁見、写真撮影までも!!

ありえない事に、大感激☆

何千人という人間がティーチングに世界各国から集まってきている中で、奇跡の謁見を果たしたのは、韓国人と(たぶん、100人くらい)、日本人だけ!!(たぶん、40人くらい)

真っ白なカターを肩からかけて猊下と一緒に写真を取って頂きました。そして、握手をして頂きました。
本当に、やわらかくて、あたたかい手で、お側に寄っただけでもすごいエネルギーなのに、握手までも…。
マジで泣けちゃいました。
本当に、誰も予想していなかった奇跡に、私たち日本人はみんな大感動していたと思います。

そして、またまた面白い奇跡が!
なんと、ティーチング最終日に、偶然にも私の隣に座った女性は、去年一年間一緒にヨーガを学んだ同志でありまして、インドの山の中で知り合いに再会するとは思いもしませんでした。
世界は本当に狭いもんだ~!!

謁見の際、頂いたおみやげ

黄色い包み:マニ・リルプ(観音様の丸薬)という宗教薬で27種類の生薬と全チベット人が唱えた数え切れない程の真言が入っているそうです。チベット歴の三月に実に18トンものマニ・リルプが調合され丸薬になり、丸薬は四月になると全てダライ・ラマ法王のお寺に運ばれ、一ヶ月間、昼夜を問わずお坊さんによってお祈りが行われれ、それだけではなく、全てのチベット人がこの一ヶ月の間、「オム・マニ・ペメ・フム」と観音様の真言を唱え加持を与えることによって薬は霊験あらたかとなるそうです。
ありがたい、お薬が入っています。
(小川 康の『ヒマラヤの宝探し ~チベットの高山植物と薬草たち~』参照)

色い包み:これも多分、お薬。でも、説明を聞き逃しました。スマーン!

赤いヒモ:「ダライ・ラマに謁見すると赤いヒモがもらえるらしい。」そんな、噂を聞いた日から、この赤いヒモにずーっと憧れを抱いておりました。ついに、ゲット!これは、首に巻くとよいらしい。

おみやげその2

タンカポスター「ナーランダー僧院の17人の学匠たち」
我が家に額に入れて飾ってあるので、この写真、見づらくてゴメーン!




Comment:0  Trackback:0
2008
08.18

ダライ・ラマ法王ティーチング(2008.8.4~6)

そう!旅の目的は、ダライ・ラマ14世のティーチング(仏教講話)に参加する事です。
その為、ここダラム・サラへやってきたのです。

どんな所でやったかお見せしたいのですが、カメラ、携帯持込禁止の為、写真がないのでごめんない。
セキュリティーチェックはすごいのですよ。
持ち物検査は、かばんの中身を全部開いて、財布の中、ボールペンまでカチカチやって見られます。
ボティーチェックも、しっかり、体中全部触ってチェック!チェック!!なのです。
確かに、やるならこれくらい厳しくないと意味ないですよね。

ティーチングはナムギャル僧院のお堂で行われているのですが、参加者の数は…。1000とか、2000とか…そういう次元だと思われます。
数え切れない赤茶色の袈裟を着たチベットのお坊さんが座っておられるのですが、それの美しい事。
そして、なぜかイケメンが多いのです。
きっと、日本の男子のようにピアスに、パーマに、アクセサリーに、茶髪に…って飾らない分、素材が生きているのではないだろうか?そんな結論に至りながらも、「はぁ~、彼らは一生独身なのか…。もったいない。いや、ある意味、アイドル的かも?」などと、今から猊下に会うのに、煩悩の真っ只中に私はいたのでした。
そして、ビックリしたのは、白人さんの多いこと、多いこと…。
トイレで一緒に並ぶ女性に、どこから来たのですか?と訪ねると、イギリスの方でした。日本からやってきて、本当にえらい遠くまで来たなぁ~。と、自分に関心していたのに、もっと遠くから来てる人もたくさんいたりして、本当に、猊下のファンが世界中にいる事を思い知らされました。

僧院の中は、五体投地をする女性や、マニ車を回しながら、お祈りを唱えるおじいちゃんなど、一般のチベットの方もたくさんいらっしゃいます。みんな勉強熱心なのですね~。

そして、そして、ダライ・ラマ法王の登場!
椅子に座られると、みんな五体投地をしてお祈りします。初めは戸惑いましたが、今となっては太陽礼拝みたいで楽しく出来ます。(こんなこと言ったら、しかられるかも)

ティーチング初日。
私たちの席は、猊下が見えない位置に座っており、近くにあるプラズマTVからの中継を見る感じだったのですが、猊下がティーチングの最初に「Wher is Japanese?」と一言。
私たち日本人は、「ここで~す!」と、大きな声で手を振ったのですが、猊下は気づかれなかったようです。
そこで、秘書官の方が「日本人はあちらですよ」と、耳打ちされたようで、なんと、午前のティーチングが終わったときに、私たちのまん前を通られて、しかも足を止めて「Japanese?」と…。
そこにいた、日本人全員大感動と、大歓声でした。その時、猊下と私との距離約2m!!
興奮っていうか、お姿を見ただけで泣けました。

そして、奇跡はこれだけで終わらず、お昼からのティーチングに、席に向かうと、そこにはチベット僧が…。「私たちの席なのに…」と、心配すると…
猊下が直々に、日本人が来ているなら、もっと近くの席を日本人に譲るようにと言われたそうで、私たちは猊下を直接拝める席に移動することになりました。

そして、初日の午後からず~っと猊下の優しいお顔を拝みながら、ティーチングを受けました。ティーチングはチベット語で行われるため、猊下がしゃべられた後で、通訳の方がしゃべる。と、いう方式です。
通訳の方がしゃべっておられる間は、猊下は、頭をかいたり、あくびをしたり、鼻をかんだり…。
そして、ニコニコしながら講話を聞いている私たちを見ておられます。
そして、2日目はラッキーなことに何度も目が合いました。
こちらを見られたときにチャンス!!と、思って猊下を見て、ニコっと私も笑って、手をあわせます。(他の人はエライので、下を向いてノートを一生懸命取っているのですよね。私は猊下ばかり見てました(笑)。)すると、私の顔を見てフッフッフと笑われます。
その時、私の胸からすごく温かいものが湧き上がります。そして、涙が止まりません。猊下の慈愛に満ちた笑顔に包まれて、私は今まで感じたことのない種類の幸せを感じていました。

最終日には私の隣にいたツアー参加者の一人が、ティーチング中に振る舞われたバター茶をマグカップごとこぼしたのです。
「あちっ!!」っと騒ぐ、私たち日本人に猊下も目を真ん丸くして大注目。
心配そうにこちらを見ながら「日本人がお茶をこぼした。」すると、その場にいたチベット僧からドッと笑いが上がります。そして、次の瞬間、世界中の通訳の方もそれを訳したのでしょうね、一瞬遅れて、外国人から笑いが起こります。
猊下が、日本の通訳の方に「大丈夫か?」と目で合図される感じもとても優しくて、素敵でした。



写真は、ナムギャル僧院の前の門です。


Comment:0  Trackback:0
2008
08.18

ダラム・サラまでの道 (2008.8.3)


列車の遅れもなんのその、ダラム・サラへ到着しました。
結局、早朝ニューデリー駅を出発してから、14時間後に到着!!
列車に揺られ、10時間。そのあと、車で走ること3時間半。列車移動は、寝台車だったので、横になれたので、飛行機ほど苦痛ではなかったのですが、車移動がすごかったぁー!
知ってたら、絶対来てないだろうな…って道でした。

ただでさえ、道幅が狭く、車一台が通るのがやっとではないか!!という道なのですが、そこに加えて、雨季により、左は山崩れ、右は崖っぷち。そして、そこを対向車がすれ違おうとするのですから、私の頭の中では「インド山中で車が転落。邦人旅行者○名死亡。」という新聞が刷り下ろされ、うちの母親が「だから、インドは危険だって言ったじゃない!嫌な予感がしてたのよ!」と、泣き崩れる一連の様がしっかり映像化され、保険かけたけど、死んだら私はもらえないし…。などという、浅はかな悔しい葛藤と闘っていました。
そんな私の心中を知らずに、ドライバーさんは、対向車もガンガンやってくるのに、いくつものヘアピンカーブをビュンビュン進んで行きます。インドの運転は日本の運転に比べ、とても荒いのです。道路の作りも日本に比べ荒いため、舗装はボコボコ穴あき状態。石もゴロゴロ。水はけも悪く、雨が降ると、大きな水溜りが沢山出来ています。

でも、車内から遠くに見えるヒマラヤ山脈はとてもきれいで癒されました。




Comment:0  Trackback:0
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。